針道のあばれ山車

400余年の受け継がれた伝統 諏訪神社例大祭

『針道のあばれ山車』

【令和元年10月13日(日) 午後1時30分】

二本松市針道地内

 

『針道のあばれ山車』は「諏訪神社例大祭」のなかの祭りごとの一つです。

現在の地に諏訪神社が最初に建てられたのは、天平年中(730年頃、奈良時代)、後の永承年中(1050年頃、平安時代)になってからは、毎年7月27日に神事が行われていました。

その後、天正13年8月(1585年、戦国時代)に伊達政宗との戦いで針道館を 守っていた針道源太が滅ぼされると、諏訪神社も荒廃してしまい、江戸時代の始めに再建されるも、その後、雷火に見舞われるなどして継続的に神事が行われていませんでした。

後の宝暦8年(1758年、九代将軍徳川家重の時代)になって、当時の針道村内で凶作が続き、疫病も大流行し、当時の人々は、災いの原因は、神輿渡御を永い間行ってこなかったことにあると考え、神輿渡御を復活させました。

この時、安積郡大槻村(現在の郡山市大槻町)から、獅子頭を買い求め、神楽を行ったとされています。

その頃、人形を飾り付けた山車、獅子踊りを奉納したのが、この「あばれ山車」の始まりと伝えられています。

安永元年(1772年、十代将軍徳川家治の時代)に幕と人形一式が奉納されたが、天明の飢饉によっ て、一時中断になり、凶作から立ち直った天明8年(1788年)に盛大に復興を遂げました。

寛政年間(1790年頃)には、人形に美しく飾りつけた屋台とともに、「にわか」という文字通り即興の狂言芝居も行われ、寛政8年(1796年、ナポレオン活躍の頃)には、若衆が太鼓台を新築して 町通りを練り歩き、寛政11年になって、神々しく新調された神輿が一層「針道の諏訪まつり」として知れわたりましたが、狂言芝居は禁止されてしまいました。

文久3年4月(1863年、新撰組結成の頃)、神社に正一位の宣下があり、いっそう祭りを有名にし ましたが、時代は幕末の世に差し掛かり、祭礼は自粛を余儀なくされました。

昭和2年(1927年)、諏訪神社は村社から郷社に昇格し、県庁から供進使が来ることになり、「針道祭り」は時代に順応して新しい試みが行われ、祭礼最後の日は、「針道けんか祭り」と言われる賑やかさになりました。

そもそも、激しい雨に見舞われた為、それぞれの事務所に戻ろうと山車を押し急ぐあまり に、山車間でぶつかる様が「あばれ山車」の始まりであって、これは若い力と自然の成り行きから生じものであろうと思われます。

現在の開催は10月ですが、以前は旧暦の7月27日(現在の9月5日)に行われていました。

その後、明治11年に太陽暦に改正されると、9月17日、18日の両日に変わりました 。

 

1日目を「本祭り」、あばれ山車が行われる2日目を「後祭り」と言います。

例大祭は、すべての神事、町廻り、神輿渡御(みこしとぎょ)、あばれ山車、神輿還御(みこしかんぎょ)、樽神輿(たるみこし)担ぎ、豊年様(ほうねんさま)担ぎなど、盛りだくさんです。

祭典中、地域の子供たちに引かれた山車が針道の町内を2時間ほどかけてゆっくりと練り歩きます。

「町廻り」というこの慣わしは、昼夜数回にわたり行われます。

夜の町回りの時は、太鼓台に提灯が灯されます。

あばれ山車の激しさとはまた違ったお祭りの良さを感じることができます。

いつでも誰でもお好きな山車を引くことができます。

お越しの際には、気軽に手綱につかまってみて下さい。

山車を引いてくれたお子様には、おみやげを用意しています。

 

本祭り(10/12)

  • 14:00~
  • 19:00~

後祭り(10/13)

  •  8:30~
  • 12:30~
  • 13:30~ 『あばれ山車』
  • 20:00~

 

針道若連は7町あります。

今年の山車の紹介と意気込みを語っていただいてますので後日紹介します。

お楽しみに。

※お祭りの内容は「針道のあばれ山車」HPから引用してます。